確認です

仕事が辛いの延長上に生きるのが辛いと感じることがあるんだけど、その方程式は不味いなと。
生きることの手段として仕事がある訳で、仕事が上手くいかないからといって生きることの障害になるようでは本末転倒だなと。
しかしながら仕事が生きるうえで占める割合が多いとさっきの方程式も成り立ってしまうのではないかと思うと恐怖だよなあ。

ここはしっかり分けていかないと仕事に殺されかねないので、自分のためにもう一度確認しようと思う。
生きることの手段の一つとして仕事がある。生きること=仕事ではない。仕事が上手くいかないからといって、生きることが辛くなったりした場合、仕事の占める割合が多いと考えられるので、仕事の割合を減らすことを考えるべきである。

そうなんだよなあ。仕事が原因で生きるのが辛いとか死にたいとか感じるのはおかしな話なんだよなあ。仕事が好きで生きることに占める割合が多いなら、仕事が原因で生きることへの影響があっても納得できるけど、実際そんな人なんて割合でいったら社会人の一割ほどだと思う。ほとんどの人が可もなく不可もなく一日を過ごしている訳で。

そんな一般の人が仕事に一日八時間として割合でいったら一日の三分の一を占められている訳だ。そりゃあ持たないよと思う。時間軸だけで判断したら、一日の三分の一を仕事に割いている訳で。こうなったら残りの三分の二をどうすべきかと言う話だけど、難しいよね。