ホーローのポット(ブルー)

これはある休日の昼下がりに、とある喫茶店でコーヒーを飲んだことから始まります。

その日はよく晴れた日曜で、自慢の愛車でドライブを堪能したあとにふと「コーヒーでも飲んで帰るか」と全くの気分だけで入った喫茶店に雑貨として置いてあったホーローのポットがありまして。

雑貨には興味がないこともないんですが、そのホーローでできたポットは一目で気に入りまして。

コーヒーを飲んだ後、マスターにワザワザ「これいくらですか?」などと尋ねると「4千円ですね」と。

マジかよ…高えな…。そんな本音をマスターに気づかれまいと、いかにもそんなもんですよね的な感じで、しかしながら興味あるぜ的な全力の「ア、ソウナンデスカ。イイデスネコレ。」という猿芝居にうって出た訳ですよ。

 

で、帰ってからも何となくそのホーローのポットが気になって。何となくネットで見ていたら全く同じものがあったんたですよ。しかも4千円より安く。「あのマスター、フカしやがったな」などと頭をよぎりましたが、そのポットの蘊蓄を一通り見てみると、どうしても欲しくなってしまいまして。しかもマスターのとこよりちょっとだけ安いし。

そんなこんなで気づいたらポチりと買ってしまいました。

 

はっきり言ってホーローのポットなんて使い道を探す方が大変です。お湯を沸かすなら電気ポットで十分だし。しかしながら昨今のスローライフとか丁寧な暮らしとか。そんなものへの憧れがどこかにあったんだろうかと、そのホーローのポットが来るのをいつしか楽しみにしていた訳ですよ。

 

待つこと数日。そのスローライフ・丁寧な暮らしを実現させるべくやつは我が家にやって来ました。

淡い乳白色がかったブルーのホーローのポットは見るからに可愛くて、早速使ってみることにしました。

お湯を沸かし、そこへ国産紅茶(オーガニック)を入れます。「ああ、これがスローライフ・丁寧な暮らしか」と半ばにやけながら台所で突っ立って紅茶を嗜んでいたところ、おかんがやって来ました。

 

「何してるん?なに買ったん?」おかんの問いかけに待ってましたと自慢のホーローのポットを見せて、「いいやろ?これ。紅茶淹れてん。」自慢気な息子をおかんがシビアに「要らんやろ?それ。」

ああ、そうか。おかんほどシビアな生き物は居ないということを忘れていました。台所はおかんの主戦上。実用性の無いモノは容赦なく淘汰されます。そこにスローライフ・丁寧な暮らしなどという昨今の軟弱な思想を実現すべく現れたホーローのポットはあまりにも浮いています。

いやいや、これはね…と何とかホーローのポットを弁護してその場は凌ぎましたが、これは敗色濃厚です。台所という戦場を束ねる鬼軍曹然りおかん。ホーローのポットを一別する仕草。マズイ…。

 

かくして可愛らしいホーローのポットは我が家の台所の隅へ追いやられ、紅茶を淹れるというひどく限定された用途にだけ使われるのでした。もし私がInstagramにおいて #スローライフ #丁寧な暮らし などというタグをつけて、紅茶を啜っている様子をあげたときは、我が家で不憫な思いをしているホーローのポット(ブルー)の存在を忘れてはならないのです。

おしまい

 

 

愛車日記#4

すでに生産が終了してしまったけど、ソイツに対して思い入れがあると、長らく愛情を注ぐというのは悪いことじゃないというお話。

 

私の乗っている自慢の愛車はこいつなんですが…。
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どうです?なかなかいいでしょ?

この車は1999年製造のS2000という車です。

HONDA社製のFRオープン2シーターです。

この車は私の憧れの車です。これ以上の車はありません。

そんな私の愛車ですが、時代の波には逆らえず、すでに生産は終了しています。

何せ19年も前の車ですから、あちこち直したいところがあります。

しかしながら、直そうと思っても部品がなかったりして、コンディションを保つのに苦労が耐えないのが現状です。

長く乗りたいながらも「ここは我慢しよう」と諦めているところがあります。

 

そんな折りに、嬉しいニュースがありました。

車は違いますが、MAZDAの初代ロードスターであるNAロードスターのレストアが開始されたというニュースです。

これは多くのファンのためにMAZDAが用意したオーナーへのプレゼントです。

生産は終了しても、その車と長く一緒に走りたいというオーナーの願いを叶える動きがあるのは嬉しいですね。

 

モノを作った人がいて、それを使う人がいて…。それが素晴らしいと評価されたなら、どちらにとっても幸せなことだと思います。

時代を越えて愛され続けるモノには、きっと素敵な物語が綴られていくのだろうなと思います。

S2000のレストアサービス、ぜひともやって欲しいです。少なくともここに一人、必ずサービスを待っている奴がいます。ではこれで。

 

おしまい

 

 

 

確認です

仕事が辛いの延長上に生きるのが辛いと感じることがあるんだけど、その方程式は不味いなと。
生きることの手段として仕事がある訳で、仕事が上手くいかないからといって生きることの障害になるようでは本末転倒だなと。
しかしながら仕事が生きるうえで占める割合が多いとさっきの方程式も成り立ってしまうのではないかと思うと恐怖だよなあ。

ここはしっかり分けていかないと仕事に殺されかねないので、自分のためにもう一度確認しようと思う。
生きることの手段の一つとして仕事がある。生きること=仕事ではない。仕事が上手くいかないからといって、生きることが辛くなったりした場合、仕事の占める割合が多いと考えられるので、仕事の割合を減らすことを考えるべきである。

そうなんだよなあ。仕事が原因で生きるのが辛いとか死にたいとか感じるのはおかしな話なんだよなあ。仕事が好きで生きることに占める割合が多いなら、仕事が原因で生きることへの影響があっても納得できるけど、実際そんな人なんて割合でいったら社会人の一割ほどだと思う。ほとんどの人が可もなく不可もなく一日を過ごしている訳で。

そんな一般の人が仕事に一日八時間として割合でいったら一日の三分の一を占められている訳だ。そりゃあ持たないよと思う。時間軸だけで判断したら、一日の三分の一を仕事に割いている訳で。こうなったら残りの三分の二をどうすべきかと言う話だけど、難しいよね。

2017/12/21

「精神科にかかっている」というと、大概の人は「え、普通なのに」みたいな反応をする訳で。私としても普通に過ごせるならそれに越したことはないんだけど、なかなかそうもいかず、毎食後に薬を飲んでいる。

精神疾患で一番辛いのは回りの目かもしれない。仕事に行けず家で寝ていたりすると、気分転換に外に出るのも勇気がいる。

私はここ最近やっと回復してきたのだが、ここまでくるのに三年かかってしまった。20代から30代になって、甥っ子や姪っ子もでき、正真正銘の「おじさん」になった訳だ。

回復したきっかけは薬のおかげとはいえない。薬を飲んでもしんどいし、家で寝ていても焦るばかりで気休めにならなかった。

何がきっかけかというと、東北の復興で宮城の気仙沼へ仕事に行ったことが大きかった。

行く前の私は、とてもじゃないけど勤まらないだろうなと思っていた。途中で帰ってくるのがカッコ悪いから、友達にもなにも言わずに行くことにした。

気仙沼での仕事は楽しかった。そこで「なんだオレもまだできるじゃねえか」という自信がついた。気仙沼にいたのは二ヶ月ほどで、一緒に行った仲間と一緒のクルマで帰ることができた。うれしかった。

私は統合失調症なのだが、どうやらコイツとは一生付き合っていかないといけないらしい。毎朝起きると「今日は大丈夫かな」とか「今日はしんどいな」とか。自分の体調のご機嫌を伺う毎日だ。年代物の機械みたいだな。年代物の機械は始動にも運転にもコツがいる。もちろん止めるときも。そのツボを掴むのがこれからの課題かな。

 

おしまい

ラーメン屋が閉店した話

馴染みのラーメン屋でお気に入りの一杯をいただくのが私の楽しみなのだが、最近その店がいつ行ってもやっていない。

その店は昭和情緒が色濃く残る路地裏にたたずんでいる。地元の人々を胃袋から応援してくれる、そんな気概を感じさせる風情がその店にはある。

「はーい、いらっしゃい」

どこか気だるげな声で店のお母さんが迎えてくれる。店はお母さんと息子さんの二人で営んでいる。

中華そばを頼むとお母さんは厨房の息子さんに「中華一つねー」と知らせる。息子さんは調理、お母さんは接客という具合だ。

中華そばが出てくる。絵に描いたような昭和の中華そばがそこにはある。醤油ベースのちょっとしょっぱいスープに、黄金色の麺。メンマにかまぼこ、チャーシュー、刻みネギ。

すばらしい。おそらくこの店ができた当初からの変わらぬスタイル。先代から受け継いだ伝統である。

そんなお気に入りの店だが、どうやら最近店じまいをしたらしい。まさかと思ったが、いつ脚を運んでも店は閉店のまま、寂れた路地裏と同化してしまったかのように活気なくそこに建っている。

真っ先の浮かんだのは店のお母さんの事だ。どこか気だるげなお母さんは、店の歴史そのものだ。

「お母さんに何かあったかもしれない」

そんなことを感じてしまった。多分だが、あの店は再開することはないような気がした。いつもと変わらぬ中華そばと、「おおきに」と言ってくれるお母さんがいてくれればそれでよかった。それが叶わなくなってしまったのはとても残念だった。

 

敗けから学ぶ

こんなこと言うまでもないけど、誰しも失敗する事がある。

もっと言及すると、何かに敗けるという事。

テストの点数だったり、営業成績だったり。

数字で表すとこの「敗ける」というのは、それはもうハッキリと当事者に現実を突きつける訳だ。

今回はそんな敗ける事から、何かを学ぶ行程を私が好きな麻雀で紹介したいと思う。

 

まず今日ゲーセンで麻雀を打ったら、それはもう悲惨な敗け方をして。スコアはガタガタになるし、打っていて苦しい状況が続いた。


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トップ1回、ラス4回。

牌勢が悪いもんだから役牌を絞って打つしかなく、当然手は窮屈になる。鳴けばそこを棒攻めされ、放銃。

点数を捲ろうとして無駄に高い手を作ろうとして、足が遅くなる。

そこへリーチが入り、また放銃。

 

ここまで「敗ける」というサイクルにはまってしまうと、後は何をしてもダメ。

敗けにはサイクルがある訳だ。

 

じゃあどうすれば良かったかを考えると、放銃を無くす事に集中すればよかったという事になる。

自分が振り込まなければ流れたかもしれないし、誰か別の人が振り込んだかもしれない。

状況に応じて戦略を立てる重要さを感じた今日の麻雀だった。

 

麻雀をやっていると、状況というものがいかに変わり、それが人の戦略(ここでは和了ること)にもとづいて行われる事がよく分かる。

状況というのはいくつかの要因で成り立っていて、その場その場で違うものだ。その状況を判断し最適解を出した人が和了するものだと思う。

 

状況判断の正確さと早さ。今日は見えてなかったようだ。

雑記 #2

私の家は家業で土木業を営んでいる。子供の頃から自分の将来について考えたとき、「家でだけは働きたくない」と思っていた。
小学校やそこらの年齢の子供であったが、その事だけはハッキリと考えていた。家でだけは働きたくない、と。

なぜだろうか考えると、~の息子。という子供の頃からそういった目で見られるのが心底嫌だった。
家族の仲も悪かったし、こんな家とっとと出てやろうとクソ生意気にも思っていた。
大学へ行き、私は統合失調症になった。大学には自律神経失調症のため、と言い半年間の休学届けを出した。

病院で一月入院した後、実家で家業の手伝いをすることになった。当然、仕事なんて出来るわけもなく、おっさんや親父の言うことをただやる毎日だった。何も考えてなかった、というか考えられなかった。心はいつも大学への復学だった。辛かった。

半年間の実家での手伝いは何も心に残らなかった。いま自分がこうしていられるのは実家で働いているからだ、それはその通りだ。
ただ私がこの跡をとるかと言われたら、多分とらないだろうという事はハッキリしている。甘いかもしれないが、文章を書く仕事に就きたいと思っている。

自分のかいた記事だったり、そういったものが読んでくれた人の一人でも、「楽しい」と感じてくれるなら、こんな幸せなことはない。この事はハッキリ分かんだね。

おしまい